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ごあいさつ[創立58周年記念式典・祝賀会より]

理事長・院長 太田 正幸


 皆さんこんにちは。

 今日は58回目のお誕生日です。11月1日というのは明石市が市制をひいた日でもあるという事は知っていましたが、今朝出てくる時にテレビを見ていていましたら、今日はお寿司の日でもあるらしいです。なぜお寿司の日かというと、新米が出ていて色々なネタが新鮮で美味しいかららしいです。

 ついこの間、企業というものは30年が寿命であると言った方がおりまして、気になりまして色々調べてみましたら、やはり継続が不可能になってきているらしく、跡継ぎがいないとか、或いは事業そのものが古くなってきている。その古くなってきた物を中国や韓国、発展途上国に取られてしまいどうしようもなくなる、というのが主な原因です。

 時代というものは移り変わっていくものです。私どもの元になった明石土山病院も昭和31年にできた病院です。それは病院とは名ばかりで、良く言えば施設、悪く言えば収容所のような所だったわけです。

 それが今現在、良いお薬が出てきて、急性期病棟である5-1病棟も、約7割の方が3ヶ月で退院していかれるようになりました。また統合失調症などの難しい病気でも外来だけで治療ができるようになってきました。そういう風な時代の変遷について行かないと、やっていけません。私どもの病院は、或いは法人全体として、正しい方向に向かっていると思います。急性期病棟もあり、介護老人保健施設もあり、その他の社会復帰施設もあります。今、厚生労働省は社会に患者様を戻す、という事に力を入れています。その方針に則って我々法人は今、運営されているのです。

 今はないですが昔、一旦入院したら10年も20年も入院していなければならない病院がありました。なぜ退院させないのかそこの院長先生に尋ねたところ、退院させると入院患者が減るではないかと言われていました。もちろん入院患者様は減りますが、その当時の保健所の保健師さん達にききますと、何処も入院する所が無いので泣く泣くあの病院に入院させました、との事でした。

 それはやはり人権侵害です。病院というところは、入院をして、良くなって、退院をするところです。当たり前の事なのですが、それが残念ながら昭和31年の頃には乏しい治療法しか無かった為、できませんでした。今は良いお薬ができただけでなく、看護の質も上がり、その他作業療法などの技術も上がりました。そして退院が早くなってきたわけです。

 昭和31年に明石土山病院ができた時は、第二病院という言い方もされていました。診療報酬も低く抑えられ、その代わりに医者の数や看護師の数を抑えるという、本当に施設の様な状況でしたけれども、今は5-1病棟に関しては医者の数は他の病院と同じ、16人の患者様に対して1人。看護師に関しては、本当は7対1にして欲しいのですが、13対1という普通の病院に近づいた形です。今後この動向というのは益々進んでくると思われますし、それを行っていかなければ病院が立ち行かなくなります。老健施設はもう少し先まで大丈夫だと思いますが、本体の明石土山病院が立ち行かなくなると、この法人も将来が暗いのですが、あの5号館を建てさせて頂いたおかげで、今は非常に上手く行っております。5号館の2階は検査室等々ありますが、隣に50床の病棟、3階は60床の病棟が建てられる様になっています。最上階は多目的ホールにしたいと思っています。それは追々です。というのは、東京オリンピックや東北の災害復興などに職人さん達が行っていますし、それに伴って職人さん達の給料も高騰しています。資材も、投機的な目的もあるのでしょうがすごく高騰していて、5号館を造った時よりも1.5倍位の数字になるだろうと予想しています。

 東京オリンピックは6年後ですけれども、それらが終わってから、ゆっくりと5号館の増築に取り掛かれればと思っています。急激に物事が変化しますのでそれ位のペースで良いのではと考えていますので、宜しくお願いしたいと思います。

 以上です。

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